都道府県

はじめに

こちらのページはTokyo City University Advent Calendar 2019 20日目の記事です。 前日の記事はましまさんの「工学知識0の情報学生は期日までに1からキーボードを作れるのか」です!

都市大アドカレということで、何を書こうかと思いを巡らせていたのですが、おそらく理工系の記事は他の方がたくさん書かれるかと思いましたので、あえてここでは社会科学系の何かを書こうと思い、きっぷのお話(旅客営業規則)とか日本における情報機関とか安全保障論議の落とし穴とかいろいろ考えていたのですが、まあ今回はたまたま読んでた地方自治法概説から思いついた「都道府県」について備忘程度にだらだらと書き連ねていこうと思います。

 

■そもそも都道府県とは________

日本における行政区画の一つで、地方自治法上における普通地方公共団体(※)。

都…東京都

道…北海道

府…大阪府、京都府

県…いろんな県

を指す。

※都道府県や市町村といった行政区画(自治体)は地方自治法や憲法で法的に定められていて、地方自治法ではそのような自治体の種類を普通地方公共団体(市町村や都道府県)と特別地方公共団体(東京の特別区等)の2つに分けている。

 

■すべてのはじまり、廃藩置県_____

現在の都道府県のはじまりともいえる廃藩置県をまず振り返りたい。

はじまりは1871年。版籍奉還を成し遂げた明治新政府は次なる中央集権化政策の一環として廃藩置県を行い、旧藩主らは東京に強制移住の上、3府302県の道府県が置かれた。(なお、そのすぐ四か月後には3府72県に整理統合されている)その後も変革に次ぐ変革で、1888年の香川県誕生を最後に現在の47都道府県とほぼ変わらない3府43県の形が出来上がった。

 

ちなみに政府が重要視した土地を府、それ以外を県としたそう。県の由来は大昔の中国の行政区画からきている。その名残で現在も大阪と京都は府となっているが、現在の地方自治法では府も県も組織上も権限上も何も変わらない。

 

廃藩置県は薩長の有力者を中心に新政府側が裏で計画、一方的に断行する形でとりおこなわれた。そのメンバーの一人であった木戸孝允の日記には「始てやや世界万国と対峙の基定まると言ふべし」(初めて世界の列強各国に対抗できる基礎ができあがった)と記されている。

(もちろん、自分の領土を見事に奪われた上、藩主を東京に強制移住させられた旧諸藩からは不満の声が噴出したが、戊辰戦争による財政難などで本格的な抵抗には至らなかった。ちなみに2018年放送の西郷どんでも島津が西郷に対して不満をぶつけるシーンがあった。)

 

■幻の名古屋県、仙台県。28道府県構想_______

ただ実はこの一連の道府県の整理統合はここで終わらず3府43県体制は崩され、28府県まで減らされる予定だったという。

時は1903年。当時の桂太郎内閣は府県廃置法案を閣議決定。28道府県体制とし、現在の北関東3県は宇都宮県としてまとめられたり、宮城県は仙台県に、石川県は金沢県に、埼玉県や和歌山県は消滅などかなり緻密で施行日まで決められた大がかりな整理縮小・改名計画だった。

 

ではなぜこれは実行されなかったのか。

 

その答えが当時同タイミングで勃発していた日露戦争だった。この日露戦争により議会が開かれなくなり、国会に提出されず廃案になってしまった。

日本が韓国・満州利権でロシアともめていなければ埼玉あたりの人間はださいたまなどと煽られることはなかったかもしれない。

 

■北海道、東京都誕生_________

ここまでは府県の統廃合を見てきたが、道や都の誕生を振り返る。

・北海道

蝦夷地と呼ばれた時代を経て、北海道には開拓使と呼ばれる現在でいう省と同等の組織が置かれ、国が直接管轄していた。その後は札幌県・函館県・根室県の三県体制に移行したもののうまくいかず、北海道庁が設置された。

 

・都

日本の首都である東京都。1943年に都制が施行され東京府・東京市から一つの東京都となり、戦後には地方自治体について定められている地方自治法で都に置かれる区は特別地方公共団体として一般の市や県とは違った取り扱いがなされることとなった。具体的にはそれぞれの区が市と同じような行政上の組織・権限を持つことになっている。

こんな特殊な行政組織をもつことになったきっかけとしてはまたしても戦争が絡んでいる。

戦時中首都の防空は喫緊の課題であり、東京府・東京市の二重行政ではなかなかうまくいかない点が多々あった。そのような経緯から東京都は誕生した。(当時は東京都知事ではなく東京都長官なるものが存在し、政府の会議にも出席していた。)

実はその前にも東京都構想は何度か浮上しており、また都成立後も都知事は公選(選挙)か官選(政府が選ぶ)かで対立し都の制度自体はかなり紆余曲折を経ている。都構想自体は最後は戦争の力で何とか成立したといっても過言ではない。(その内容だけでも記事がもう一本書けそうなくらい色々あった)

近年は大阪都構想と、大阪府も大阪府・大阪市の二重行政解消に向けて都への変革の動きが見られ、それにむけた法改正も実施済みである。

 

■千代田区の密かな独立運動、千代田市構想

千代田区は過去に、市なら本来持っているはずの固定資産税などの課税権や一部の事務処理について都に権限が留保されていることを理由に千代田市となることを宣言したことがある。

過去には世田谷区も区長が同趣旨の発言をしたことがある。

 

おわりに

今回はここらへんで止めておきます。(後半;憲法と地方自治法の考え方の相違、都道府県違憲説、道州制等 いつか書きます)

今となってはさいたまはださいたまとか、京都人は言いたいことをはっきり言わないとか、青森弁は聞き取れないとかそれぞれの各都道府県について固有のイメージが染み込んでいるけれど、その都道府県という概念自体は明治期からの約130年で形成されたものにすぎないのですね #などと

 

都市大アドカレ、明日(2019/12/21)のこの時間はうめさんの記事をお送りします。

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